top of page

2017年1月報告

 今月は、現地時間1月9日より31日まで史料収集のためロンドンに滞在した。史料収集先は大英図書館であった。

 大英図書館では、まずウォーレン・ヘイスティングズ文書を参照した。これは、1770年代に東インド会社初のGovernor-Generalとなり、かつ帰国後にインドにおける暴政を理由にエドマンド・バークによって訴追されたヘイスティングズに関連するものである。あまりに膨大であるため全ての史料にあたることは到底かなわず、1776年までの書簡、報告書の類を中心に閲覧及び史料撮影をした。

 次に、第三代ポートランド公ウィリアム・キャベンディッシュが1768-1774年にしたためた議会日記を参照した。18世紀の公刊議会資料は簡便な新聞記事を再掲したような不完全なものが多く、そのなかでこの史料は、最も浩瀚な議事録と考えられているため、バークらの議会における発言を参照するには極めて有用である。事実、6年間の議事録が数十冊にわたり纏められているため、これも全て参照するこ とはかなわなかった。

 更に、1760年代のジョージ・ジョンストンの書簡も参照した。これは、ジョン・ジョンストン、ウィリアム・パルトニら兄弟間のものを含んでおり、1770年代にエドマンド・バークと交友のあったジョンストン兄弟の思考の一端を知るうえで重要なものであった。

 これらの史料収集につき、先月末にワシントンDCの議会図書館を訪れたものの、本格的な史料収集ははじめてだったため、幾つか困難が生じた。

 まず、史料のアクセスの方法が慣れるまでよくわからなかった。手順としてはまずリーダーパスを作る(証明書類は二種類必要であり、パスポートのほかに免許証、保険証、電気ガス水道の請求書など、住所が印字された書類を提示しなくては作れない。なお日本人のキュレーターの方がいるので、日本語の書類でもよい)。しかるのちmanuscript roomやAsia and African studiesの部屋を訪れる。パスを入手したあとは、オンライン上でアイテムを依頼できるのだが、このホームページの場所も、決してわかりやすいとは言えず、しばし手間取った。アイテムは、番号が振られている毎にひとつとカウントし(フォルダのようなアイテムの下位番号は、少なくとも派遣者が参照した史料についてはなかった。但し、IORの史料についてはまた別のカウント方法があるようにも思える)、1回に請求できるアイテムは4点まで、1日に請求できるアイテムは合計10点までとなっている。史料はその場で請求すると、1時間弱(公式では最大70分)待たされるが、オンライン上で請求しておくと、当日朝一番で受け取れる。なるべく資料請求から到着するまでの時間をロスしないための工夫が必要である。

 次に、撮影した史料をどう管理するかという難しさがある。派遣者のカメラには4000枚しか最大で保存できず、かつ紛失の危険があることから個人のクラウドに撮った写真を保存した。しかし、宿泊場所のwifiの速さによってはかなり時間を食うので意外と大変である(勿論、大容量のメモリーカードを大量に持っていくというのも手だと思うが、紛失のおそれなしとはいえない)。

 更に、当然ながら手稿史料の判読の難しさである。膨大な量の手稿史料にあたることは今までほぼ皆無だったため、ロンドンに着いた当初はその判読に著しい困難を覚え、研究の先行きに暗雲が立ち込めた。しかし、3週間の滞在中に、徐々に判読能力が向上したため助かった。とはいえ、報告書や議事録のごときものはまだしも、書簡のなかには悪筆なものもあり、いまだに判読困難な史料もある。国立公文書館は http://www.nationalarchives.gov.uk/palaeography/further_reading.htm のようなページを用意しているが、たとえば日本語の崩し字辞典のようなものは載っていないので、自力で能力を向上させていくほかないと思われる。今後の課題である。

 ロンドン滞在中、夕刻以降は日本語の論文執筆の時間にあてた。2月末締め切りの論文がひとつあるのだが、2月はセメスター期間であるため、それ以前に完成させたいと考えたためである。大英図書館のあるキングスクロス・セントパンクラス駅周辺のカフェはスタバが22時半まであいているのが最長だが、日本とアメリカの感覚から言えば驚くほど早く閉まる。執筆場所を探すのも意外と大変であった。

また1月下旬には、ロンドンに滞在していたキャナダイン教授とIHRで面談をし、経過報告をした。来月は、彼とリンダ・コリー教授のセミナーに参加予定である。

 なお、アメリカは大統領令の発行により混乱しているが、ニューアーク空港における入国審査は、特に問題なく通過した。入国審査を待つ間、大統領令について報道するCNNを、列に並ぶ外国人が一様に真剣にみていた光景が、未だに脳裏に焼き付いている。プリンストンの学長からは、この件に関し全学生に向けてメールが送られてきた。


Recent Posts
bottom of page