2018年2月報告
2月いっぱいをもって私のベルリン滞在は終了となった。帰国間近になってこの冬一番の寒波が到来し、気温がマイナス10度を下回る日々が続き、ついに春の訪れを知ることなくベルリンを後にした。
この6ヶ月間を振り返ると、とにかく「あっという間だった」というのが第一の感想である。9月初めにベルリンに到着し、最初の一泊だけ取ったミッテ(ベルリンの中心街)の宿にタクシーで着いてすぐ、周りの壁を埋め尽くすグラフィティに不安を感じながら(南米では中心街は治安が悪いものと相場が決まっているので、私にはその固定観念が刷り込まれていた)ホテルの周りを歩き、「英語通じるのかなあ」とビクビクしながら恐る恐る注文したサンドイッチを頬張ったあの日からもう6ヶ月も経ったとはとても信じられない。
もちろん、それはこの滞在が非常に充実したものだったことを意味するのだろうが、一方で落ち着いて振り返ってみると、今年度は自分のキャパシティを超えた量の仕事を引き受け過ぎた、という反省が先に立つ。結果として、ベルリン滞在中も常に何かしらの締め切りに追われているという状態が続いてしまい、いろんなしがらみから離れて博論の研究に集中するためにベルリンに来たのに、なかなかそう思うようにできないというフラストレーションは、最後まで消えることがなかった。
そうした事情は置いておくとしても、やはりもっと長く居たかった、というのが本音である。最初の2、3ヶ月は、今思い返せば新しい暮らしと研究環境に慣れるので精一杯であった。ようやく生活のリズムがうまく掴めて、人間関係もある程度構築でき、さあこれから、というところでもう帰り支度を始めなければいけない時期が来た、というのが率直な感覚である。
思えば、学部生時代に1年間留学した時も、最初の半年は何をやっているのかよくわからないうちに過ぎ去ってしまい、本当に腰を落ち着けて勉強できたと感じたのは後半に入ってからだったように思う。もちろん、当時とは留学の目的も立場も全く異なるとはいえ、ある程度馴染みのある土地であればいざ知らず、行ったこともなければ言葉もろくにできない場所で自分の居場所を確立するにはそれなりの時間が必要なのだと改めて認識した。
もっとも、この6ヶ月間のベルリン滞在で「何を成したか」よりもはるかに大切なのは、この貴重な経験を今後の研究生活にどのように活かしていくかである。将来振り返った時に、この留学を何かしらの「布石」だったと位置付けることができるか否かは、私の今後の研究活動にかかっている、ということを帰国した今改めて自覚している。ひとつ確実なのは、またベルリンに戻って研究に携わる機会は必ずあるだろうし、また今の研究を続けて行く限り、今回の滞在中に出会った人たちともまた会う機会が必ずあるだろう、ということである。
ここまでが2月までのベルリン滞在を終えた私の所感である。以下、取り留めのない雑感を記しておく。
・外国といえば南米しか知らない私にとっては、ベルリンでの暮らしはあまりにも快適で逆に驚いてばかりであった。治安は日本と全く同じ感覚でいれるくらい良いし(図書館でパソコンや携帯を無造作に置きっぱなしにしたまま席を離れているのを見たときはカルチャーショックを受けた)、何より誰と話をしてもロジカルなコミュニケーションを取ってくれるというだけで海外生活のストレスがこんなに減るものか、と実感した。
・ドイツ語に関しては、この6ヶ月で全くと言っていいほど上達しなかった。スーパーでの買い物など日々の生活で使う表現なんてたかが知れているし、それ以上のこみ入った話をする可能性がある相手(研究関係者だったり、博物館や観光地などであったり)ならば、確実に英語かスペイン語で通じるので、「カタコトドイツ語」以上のドイツ語を話す訓練を積む機会はまるでなかった。とはいえ、私は駆け出しのスペイン語教師でもあるので、新しい言語を少しでも学んでみたこの経験は、自分の研究というよりもむしろ教育の方で活かせそうである。
・帰国間際になって、駆け足でいろんな博物館・美術館を巡ったが、やはり見応えがあったのはドイツ歴史博物館である。展示の物量的な豊富さもさることながら、「ナショナルヒストリー」を語る上でも、本質主義的な記述に陥ることを注意深く避けつつ(例えば、フィヒテあたりの役割を過度に強調することなく)、可能な限り「ヨーロッパ的な」文脈の中に位置付けながら提示しようという努力には本当に頭が下がる思いであった。
これをもって私の派遣報告を終わりとさせていただい。末筆ながら、この貴重で充実した滞在を可能にしてくださったGHCおよびベルリン自由大学の関係者の皆様に改めて感謝申し上げます。