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2018年1月報告

ベルリン滞在も残り1か月となり、街を歩いていても寂しさの方が募るようになってきた。日本に帰りたいという気持ちが微塵も浮かんでこないのは、それだけこの滞在が充実していることの裏返しだと思っている。

とはいえ、現実問題として帰国後どうするか、もっと具体的に言えば「4月からどうやって飯を食っていくのか」という、研究者を目指す人であれば、ある段階で誰もが直面する問題について考え、動かなければいけない時期になってきた。幸い我々ラテンアメリカ研究者の場合には、とてもありがたいことに、いろんな大学での第二外国語スペイン語非常勤講師という働き口があるので、なんとか来年度も糊口をしのぐことができそうである。

 先日、ラテンアメリカ史のコロキアムがドイツ語で行われる回だったため、時限が被っていてなかなか行けていないグローバルヒストリーのリレー講義に代わりに出席してみた。この日の講義は、ベルリン自由大学のDaniela Hackeという先生が担当で、“Empire of the Senses. Sensory Knowledge, Communication and Cultural Encounters in the Early Americas”と題されていた。英語圏やフランス語圏を中心に近年「感覚史(sensory history)」という名で呼ばれている歴史潮流について紹介をしながら、「帝国(empire)」を具体的なテーマとして取り上げ、この(ありふれた)テーマを感覚史の見地から見直すとどのような分析ができるか、というような話が講義の主眼であった。

 「感覚史」というのは、いわゆる五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を歴史分析のカテゴリーとして使おうという歴史学の潮流で、私はせいぜいアラン・コルバンの仕事をぼんやりと認識していた程度であったが、特に英語圏では近年「ブーム」とも言えるくらい流行っているそうである。極端に単純化すれば、「18世紀のパリはどんな臭いがしたか?」とか、「中世イギリスの食べ物はどんな味がしたか?」とか、そういった問いに答えようというのが感覚史の試みである。そういった意味でHacke先生が強調していたのは、「感覚史」というのは歴史学の「分野」というよりは「過去に対するひとつの向き合い方」であり、その点においてグローバルヒストリーと似たようなものだ、ということであった。つまり、「五感」に着目するという「態度」を保持する限りにおいて、どんな時代のどんな場所のどんなテーマであっても、感覚史の立場から分析しうる、ということである。

 タイトルで「the Americas」と銘打っておきながら北米イギリス植民地の話しか出てこなかったのは私には全く理解できなかったが、それはまあ置いておくとして、この講義を聞いてよく分かったのは、ベルリン自由大学‐フンボルト大学のグローバルヒストリーコースに関わっている人たちであっても、必ずしも全員がグローバルヒストリーについて同じような問題意識を持ってやっているわけではない、ということであった。主な事例として取り上げられたもののひとつが、17世紀のイギリス人植民者と北米インディアンとの間のインタラクションであったが、その際にも「non-Europeanとの出会い」というようなヨーロッパ中心主義の裏返し、というよりはむしろそのものでしかない表現を躊躇なく使って話をしていたり、「帝国」というテーマを扱っていながら、被植民者の側の主体性だとかそういった問題に特に注意を払っている様子はなさそうだったり、といった点はやはり気にせざるを得なかった。同時に、グローバルヒストリーコースの学生たちも、その辺りについて突っ込もうとするわけでもなく、むしろ感覚史そのものの手法や意義についての質疑応答に終始していたのも印象的であった。結局のところ、自身が慣れ親しんだ学問的バックグラウンドそのものを根本から疑問に付すというのはとても難しいことで、その縛りの中で自身の研究と「グローバルヒストリー」というある種包括的な枠組みとの間の接合点を各々が逐一見出しながらやっている、というのもまたグローバルヒストリー研究の実情の一面なのであろう。

 残りわずかな滞在となったが、帰国が近づけば近づくほど、タイムリミットに追いたてられるような感覚に襲われる。なにしろ、「いつでも行けるだろう」とたかをくくっていた数多くの博物館さえ、あまりに忙しくて気が付いたら全然行けていないという体たらくである。なお、「ベルリン国立美術館Staatliche Museen zu Berlin」という名で総称されている、プロイセン文化財団が運営する博物館群は「マスト」である。主なものは世界遺産にも登録されている「博物館島Museumsinsel」に集まっているが、(東京も含め)他の大都市の有名博物館と比べると、四六時中観光客でごった返しているわけでもなく、比較的落ち着いて見て回れる場合が多く、とてもお勧めである。長期滞在中にこれらを回るには、共通で使える年間パスを購入するのが極めてお得である。その他、この博物館群に含まれないもので言えば、自然史博物館Museum für Naturkunde や、フンボルト大学医学部付属の医学史博物館、それから私の研究関心に関わるものとしては1936年のいわゆる「ナチス・オリンピック」の舞台となったオリンピア・シュタディオン、ラテンアメリカ研究者としても一度は「詣でる」べきだろうフンボルト兄弟の生家など、ベルリンにはとにかく重要なものがありすぎて、本当に全部見て回る時間が自分に残されているのか、不安ばかりが募るこの頃である。

※なお、12月分の報告で「Staatsbibliothek zu Berlin(ベルリン州立図書館)」とあるのは、「Staatsbibliothek zu Berlin(ベルリン国立図書館)」の誤りでした。お詫びして訂正します。現在のプロイセン文化財団は連邦政府及び全ての州の出資による公的財団なので、元をたどればプロイセンのものだとは言え、「Staats」を「州立」と訳すのはやはりおかしいはず。Wikipediaを信用してはいけないという戒めであった。ただし、日本の国会図書館のようないわゆる納本図書館は、「Deutsche Nationalbibliothek(ドイツ国立図書館)」という名前で別に存在しているのがややこしいところではある。長く諸邦に分かれており統一国家としては歴史が浅く、さらに第二次大戦後には東西分裂までをも経験した、という歴史的過程がこのあたりの事情を複雑にしている。


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