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2017年9月報告

私は2017年9月から2018年2月まで、Global History Collaborative (GHC) の海外派遣学生と してベルリン自由大学に留学する機会をいただいた。ベルリン自由大学にはラテンアメリカ研究所 (Lateinamerika-Institut)というヨーロッパ随一のラテンアメリカ研究の拠点があり、歴史学科兼 同研究所のStefan Rinke教授とは、2015年のGHCサマースクールの際にお会いして以来、研究対 象が近いこともあり非常にお世話になっていたのだが、それとは別に、世界中からいろんなバックグ ラウンドを持った人々が集まるコスモポリタンな街であるベルリン、そしてベルリン自由大学という 素晴らしい環境で自分がどこまでやれるのか試したい、というのがこの留学の目標である。この留学 は、博士論文執筆へと向けた私にとってのいわば「武者修行」である。 なお、ラテンアメリカ研究所所属の訪問研究員(Gastwissenschaftler)というのが、こちらでの私 の身分となる。既に同研究所の HP にも私の名前を掲載していただいている。(http://www.lai.fuberlin.de/disziplinen/geschichte/Gaeste/Aktuelle-Aufenthalte/index.html) とはいえ、9 月はまだこちらの大学の学期が始まっておらず、また多くの期間を別の助成金を使ってスイス・ローザンヌにある国際オリンピック委員会の文書館で資料調査をして過ごしていたので、 GHC向けの報告としてはベルリンでの生活の立ち上げに関わる内容が主になる。ただ、この「生活の 立ち上げ」というのは、留学生活で最初の、そしてもしかすると最大のストレスになるかもしれない ので、これについて詳しく記しておくことは、今後同様に留学する人たちのためにも有益だろうと思われるので、様々な手続き等について書いておこうと思う。もちろん、手続きに関わる規定などは2017年9月現在のものであり、また多くが私の個人的な経験に基づくものなので、この内容はあくまでも 参考にして、できる限り最新の情報を得るようにして欲しい。 日本国籍者の場合、通常ドイツに 3 か月を超えて滞在するためにはビザ(正確には「在留許可 residence permit」であり、ビザvisaとは別物だが、便宜上ビザと呼ぼう)が必要となる。ドイツでは外国人のビザは各州の外国人局の管轄であり、日本国籍者は日本にあるドイツ領事館ではなく、入 国後に居住する州の外国人局でビザを申請しなければならない。「ビザ申請のためには住民登録 (Anmeldung、後に詳述する)が必要」→「住民登録のためには家が必要」、ということで、留学が決まって最初に考えるべきは家の確保である。 〇家探し

  しかしながら、外国人留学生にとって最大の難関がこの住宅の確保である。ベルリンは、ロンドンやパリ、あるいはニューヨークのような他の世界の大都市と比べればかなり物価が安い街だが、不動産に関しては賃貸物件が慢性的に不足しており、価格も毎年高騰している。ベルリンに留学中あるい は留学経験のある友人たちが口を揃えて言っていたのが、「家探しは大変だよ~」ということであっ た。とはいえ、ある程度はお金で解決できる問題でもある、ということは事実である。

 留学生が検討すべき住居の種類としては、大きく分けて①大学の寮 ②WG ③アパート という 3つの選択肢がある。

 ①については、ベルリン自由大学にはオンキャンパスの学生寮はないが、学生互助会や外部団体な どが提供する寮やアパートが、いくつか留学生向けに紹介されている(http://www.fuberlin.de/en/sites/unterbringung/index.html) 。私自身はこれらの選択肢を選ばなかったが、同じく今 月から GHC でベルリン自由大学に留学する藤本氏がなにかしら書いてくれるかもしれない。個人的 には、特段大学へのアクセスがいいわけでもないし、また値段も相場からすれば決して破格というほ どではないと思う。ただし、現地渡航前に確実に信頼できる家を決めてしまうことができること、そ して家探しの悩みを経験せずに済む、というのは確かにメリットだろう。

 学生や若者の間で非常に一般的なのが、②WG (Wohnungsgemeinschaft)、いわゆるシェアハウス である。ドイツで最もよく使われているのが、以下のサイトである(http://www.wg-gesucht.de/) 。他 人と暮らす以上当然当たり外れがあるので、きちんとフィーリングを確かめてから決めるのがよい。

 私は最終的に自分で③アパートを見つけて入居した。プライベートな生活をきちんと確保したいと いうことと、自分が住んでみたい地区に住みたいというのがその理由である。アパートといってもい ろいろあるが、一年以内の中・短期ならば家具付きアパートを借りるのが普通だろう。探し方はWG 同様いろいろあるが、ドイツ語ができない私にとっては、以下の英語サイトがよくまとまっており非 常に参考になった(https://www.settle-in-berlin.com/find-a-flat-in-berlin-apartement/) 。結果として、 値段はそれなりに張るが、半年間落ち着いて暮らせるいい家に入居できたと思っている。 以下、いくつか注意点である。 ・Anmeldungが可能な物件かどうかを確認する

 最初に言ったように、ビザの申請をはじめドイツで暮らすためにはまず住民登録(Anmeldung) をしなければならないが、住民登録を行うためには、正式な賃貸契約を交わした上で、大家のサイ ンが入った書類が必要である。例えば大家に無断で又貸し(sublet)している物件など、Anmeldung ができない場合も少なからずあるので、借りる前に必ず確認が必要である。 ・かなり早くから動き出すか、さもなくば現地に着いてから探すか

 日本にいながら家を探そうとすると、不可能ではないにしろ選択肢は極端に減る。WG の場合、 現在の入居者との面接があるのが普通であるし、またアパートの場合も、まず入居希望者を集めた内覧会(英語ではよくviewingと称される)に来るように言われ、そこで必要書類などの説明を受 けてから応募、という流れになることが多い。たまたま知り合いのツテがある場合などを除けば、 日本から予約・契約ができるのは、完全家具付きで短~中期で貸し出している主に外国人をターゲ ットにしたサイトに基本的には限られる。ただし、これらは相場よりも高価である。私は留学生活 の貴重な時間と労力を家探しに割きたくなかったので、こうした物件の中から探した。いくつもの サイトを比較調査した上で、あるサイトで今の家を見つけたが、英語の対応はもちろん、メールの返信も迅速で信頼できるプラットフォームだと感じた。いずれにせよ、最初に言ったようにベルリ ンの不動産は需要過多なので、早めに動かなければいい物件はすぐになくなる。私が今の家の契約手続きを始めたのは、入居5か月も前の4月のことであった。

 もし予算を抑えながらより良い物件を手に入れようとすれば、渡航後最初の 2~3 週間はホステ ルなどでしのぎながら物件探しをするのもひとつの手である。この場合、選択肢は圧倒的に増える。 様々なプラットフォームを通じて探すことになるだろうが、この場合も肝心なのはスピードである。 いい物件が出ていればすぐにコンタクトをとらないと、同じ物件に興味がある人間はごまんといる。 ・ドイツ語ができた方がいいのは事実だが…

 当たり前の話だが、私のようにドイツ語力が限られている場合、家探しの難度はさらに上がる。ア クセスできる情報量が違うのはもちろん、viewing に行ってもドイツ語でしか説明してくれないとか、そういった類の話はよく聞く。私の友人のメキシコ人は、アパートの入居をいくつも断られ、 「外国人差別だ」と不満を漏らしていた。だが、問題はそこではないと思う。ベルリンは世界有数の国際都市であり、どの国から来ようが受け入れる懐の深さは、この街の重要なアイデンティティ のひとつである。ただ、物件を貸す側からすれば、掃いて捨てるほどいる入居希望者の中にドイツ語でスムーズにコミュニケーションが取れる人とそうでない人とがいれば、前者を選びたがるのは 至極当然の話であり、本質的な問題は、物件の供給が需要に対して不足していることである。 〇住民登録(Anmeldung)

  住む場所が決まれば、次は住民登録である。ベルリンでは、到着後14日以内に住民登録の手続き をしなければいけないことになっている。家が見つかるまでに時間がかかる場合も当然あるので、こ の期限を過ぎたからダメというものでもないらしいが、早くやるにこしたことはない。

住民登録は最寄りの区役所で行うが、予約をしていくのがベターである。予約は各区役所のHPか ら可能だが、これがかなり曲者である。私は3か月くらい前に予約したのでなんとかなったが、予約 枠はすぐに埋まってしまう。当日受付も可能だが、それなりに待つのを覚悟しなければならない。

 必要な書類は、基本的にはパスポートと大家のサインが入った書類、それに記入済みの住民登録申 請書(役所のHPからダウンロード可能)があれば問題ないはずである。書類に問題なければ、特段聞かれたりすることもなく淡々と事務処理をしてもらえる。最後に住民登録の確認証を1枚もらえる が、これはビザ申請に絶対必要な書類なのでスキャンを取って無くさないようにしよう。 〇ビザ申請

 昨今の難民危機のイメージも手伝ってかどうか分からないが、「ベルリン ビザ」などで検索する と、「ドイツ語でまくしたてられた挙句『やる気あるんなら通訳を連れて出直してこい』と言われた」 とか、「凍える寒さの中朝4時から並んで待った」とか、「必要書類は揃っているはずなのになぜかケ チを付けられて突き返された」とか、「さらに翌日別の担当者に同じ書類を出したらあっさり通った」 とか、いろんな阿鼻叫喚が飛び交っている。私も本当に大丈夫だろうかとビクビクしながら申請に行 ったが、結論から言えば私のように滞在の目的も期間もはっきりしており、さらに経済的な保証も十分な場合には、心配することはない。ドイツ語ができなくてもどうにかなるし、職員の対応も高圧的 とか冷たいとかいう印象は全くなかった。ただし、「朝4時から並んで待った」だけは本当である。

準備する書類は、①ビザ申請書(外国人局HPからダウンロード) ➁パスポート ③収入を証明 する書類 ④大学からの受け入れレター ⑤健康保険の証書 ⑥住民登録の確認証 である。 ③と④は、家探しの際にもたいてい要求されるものなので早めに取得しておくのがよい。

  特に注意が必要なのは⑤である。ドイツは日本と同じく国民皆保険の国であり、外国人であろうと 何らかの健康保険に入っていなければいけない。この際、歯の治療や妊娠・出産がカバーされない日本の海外旅行保険や留学保険ではビザが下りない。したがって、現地の健康保険に加入する必要があ る。ドイツの健康保険は公的なものとプライベートのものに大きく分かれるが、私のような短期の非 正規学生の場合、プライベート保険に加入することになるはずである。たくさんあるプライベート保 険の中で、日本語環境で異様に広告されている会社が2つあるが、私はそれらとは別の会社の学生向 け保険に加入した。ビザ申請には問題なかったが、まだ病院に行ったりしていないので、対応がどう かなどは分からない。

実際の申請のプロセスは以下の通りである。住民登録と同様、外国人局のHPから予約ができるはずなのだが、数か月前から見ていてもなぜか予約できなかったので、やむを得ず当日申請することに なった。当日申請の場合、とにかく何時間も待たされるので、可能な限り早くいかなければいけないという皆の忠告に従い、電車の始発に合わせて朝 4 時に家を出たが、外国人局に着くと既に 80 人ほ どの列ができていた。なお、昨年からベルリンの外国人局は二手に分かれており、Keplerstrasseという通りに新しく設置された外国人局が主に学生や研究者向けのビザ、以前からある Wedding という 地区の外国人局がそれ以外の主に就労を目的としたビザの担当になっているので、古い方の外国人局 に行かないよう注意されたい。

暗い中並んで待っていると、6 時に入口が開けられ待合室に通された。その際に整理番号をもらう ので、さらに待っていると7時くらいから受付が開始された。この際、整理番号の数字で呼び出され るので、自分の数字くらいはドイツ語で分からないと困るかもしれない。逆に言えば、結局ドイツ語 が必要な場面はそれくらいであった。書類一式を全て提出し不備がないかどうかの確認を終えてから、 一旦待合室に戻るように言われた後、別室に呼び出される。ここで「インタビュー」なるものがあり、 その結果を受けてビザの可否が決まる、という決まりになっている。心配だった私は、「私は南米の歴史を研究しており」「ベルリン自由大学のStefan Rinke教授の下6か月間研究に励みます」などとドイツ語で言えるように頑張って暗記していったのだが、別室に呼び出されて中に入ると、もう担当者 がビザを私のパスポートに貼り付けているところだった。説明も英語でしてくれるし、そもそも実質的に何も質問などされなかったので、拍子抜けしながらビザの入ったパスポートと提出書類一式を返 してもらい、最後にビザ代金を機械で支払って無事にビザ取得となった。 というわけで、「入居」「Anmeldung」「ビザ」という一連の手続きが、ベルリンに来てから最初に やったことであった。ベルリンに着いた当初は、どこか夢見心地というか、地に足が付いていない感 覚があったが、ここまでやり終わった時に、やっと「これからここで半年間頑張るんだ」という実感 が沸いてきたように思う。

受入教官のRinke先生とは、ちょうど出張で入れ違いになってしまいまだお会いできていないのだ が、近くお会いしてこれからの研究方針などを話し合うことになるだろう。ひとつ決まっていること としては、11 月にコロキアムで発表させてもらえることになっているので、まずはそこをひとつの目 標に研究を進めていきたい。

最後に、今日10月3日は「ドイツ統一の日」という祝日である。1990年のこの日、東ドイツ各州 が西ドイツに編入する形で東西ドイツの統一が法的に達成された。南米ではどの国でも 「独立記念日」 が一年で一番重要な国の祝日なのだが、ドイツでそれにあたるのがこの10 月 3 日である。この街に 暮らしていると、第二次世界大戦と東西統一という二つの分水嶺が街のあり方をいかに大きく規定し ているかというのを、日常の些細なところでひしひしと感じる。こうした「今に生きる」歴史を肌身 で感じながら日々の生活を送ることができるというのは、間違いなくベルリンの魅力のひとつである。


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