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2017年12月報告

 12月は言うまでもなくクリスマスシーズンであった。12月に入るやいなやベルリンのいろんなところにクリスマスマーケットが立ち(個人的な感想としては、たいていのクリスマスマーケットはどこも似たようなもので、「あの雰囲気の中でビールを飲むのが好き」ということでもない限り、わざわざ行く価値のあるものは2、3箇所くらいだと思う)、アドベントだのなんだのと言って街中がそわそわし始め、12月半ばになると外国人の中には帰省していなくなる人も出てくるようになり、デパートに行くとプレゼントを買う人たちであふれ、そうこうしているうちにクリスマスに突入し、すぐに新年を迎える、というなんとも落ち着かない一か月であった。相変わらず夕方4時に真っ暗になるのには辟易するが、残り少ない留学生活を何とか有意義に使おうと努力している。

大学の授業も2週目までで終わり、一旦冬休みに入った。久しぶりにある程度まとまった時間が取れたので、長い間いわゆる「積読」状態になっていた本を読んだり、執筆を中断していた論文をまた書き始めたりといった作業に時間を割くことができた。こういう作業は家でやるよりも外でやる方がはかどるので、快適な研究生活を目指してこれまでいろんな図書館などを回ってきた。

 自由大学には大小いくつも図書館があり、私も全貌はよく分かっていないのだが、一番重要な図書館が、Philologische Bibliothekという図書館である。メインキャンパスの中心にあり、ドーム型の建築が特徴的で、ワーキングスペースも豊富で使いやすい。開架図書も多いので、ちょっと調べ物をしたい時などにさっと手に取って見ることができるのが便利である。

 だが、実はこれまでここを利用したのは片手で数えるくらいの回数しかない。より頻繁に使っているのが、フンボルト大学の図書館である。街の中心部にあって家からのアクセスがよい、というのがその理由である。フンボルト大学のメインの図書館はJacob-und-Wilhelm-Grimm-Zentrum(「グリム兄弟センター」)と呼ばれていて、これまた特徴的な作りの図書館である。開架図書の品揃えも非常によく雰囲気もいい図書館で個人的にとても好きなのだが、ここの最大の問題は、ワーキングスペースのほとんどが「フンボルト大学関係者オンリー」という指定になっていることである。数少ない誰でも使える机はいつも満席で、朝早く行かないと取ることができない。自由大学図書館と比べると「ちょっと狭量だなあ」と思う一方で、もし自分の大学の図書館に学外の人がたくさん入ってきて蔵書を借り出し、机を占領しているのを見たら、正直あまりいい気持ちはしないだろうな、とも思う。図書館は大学の研究・教育活動を支える最も重要な基盤であり、またその大学が長い歴史をかけて積み重ねてきた知の集積でもあるのだから、その大学の学生や教員の利用を最優先するのが本義だという考えも一理あるだろうし、一方で社会における大学の役割として「公」の知的発展に貢献すべきだ、というのもよく分かる。フンボルト大学図書館を見ているとこれらの間でいかにバランスを取るべきか腐心している様子が窺える。

 話が逸れたが、実を言うと私が一番よく利用しているのはこれらのいずれでもない。私が週3~4回くらいの頻度で通っているのが、Ibero-Amerikanisches Institut(イベロアメリカ研究所)というところの図書館である。この研究所は、ラテンアメリカに関する人文・社会科学研究と、ドイツ‐ラテンアメリカ間の文化学術交流の推進を目的として、1930年に当時のプロイセン州によって設立されたものである。現在はプロイセン文化財団というベルリンの博物館群などを管理している公的財団によって運営されており、Staatsbibliothek zu Berlin(ベルリン州立図書館)に隣接して設置されている。ここの図書館は、ラテンアメリカ(及びスペイン・ポルトガル)専門の図書館として世界で二番目に大きなものと言われており(一番はテキサス大学オースティン校の図書館ということだと思う)、ラテンアメリカ関係の研究をする人にとっては、ベルリンに滞在する最大のインセンティブのひとつになっているのだが、ここにはとにかく信じられないくらい膨大な数の蔵書が揃っている。どれくらい膨大かというと、私がウルグアイで足かけ何年もかけてモンテビデオ中のありとあらゆる書店、古書店、古本市をくまなく回り、さらにMercadoLibre.comというインターネットサイト(中南米のヤフオクのようなもの)も駆使して探しに探してもついぞ見つからなかった研究書が、当然のように置いてあったりする。なんなら、ウルグアイの国立図書館に所蔵がないウルグアイ発行の本だって、100年以上前のものから去年発行のものまで含め、いくらでもある。こういうレベルの蔵書を、全てのラテンアメリカ各国について揃えているわけなので、ドイツ人の蒐集癖というかマニアックさと、それを支える文化財投資に対する熱心さには感嘆するばかりである(聞いたところでは、東西統一直後、ベルリン州の財政が極度に悪化した際に、一度イベロアメリカ研究所の廃止が持ち上がったこともあるらしいが、研究者らによる反対運動の結果、存続が決まったそうである)。

 この図書館にいると、現地に渡航する度に毎回何十キロ分も本を買い込んでは日本に持ち帰っている私の苦労はいったい何なのか、という気になってくる。同時に、自分の国にいながらこれだけの資料にアクセスできるドイツの研究者たちには、「羨ましい」を通り越してもはや「ズルい」という感情しか浮かんでこない。もちろん、これだけの知的財産があるのは、ドイツのラテンアメリカ研究の長い歴史的蓄積の賜物なので、日本が同じようなことをやろうとしたって一朝一夕で真似できるようなものではない。

 そういう訳で、研究に必要な本はほぼ全てこの図書館で揃ってしまうので、この図書館が私のメインの仕事場になっているのだが、またこの図書館に行くとほぼ確実に知り合いの院生や研究者たち(ドイツ人もラテンアメリカ各国やそれ以外からの留学生も)に会えるので、そういった人たちとちょっとおしゃべりしたりするのもここに通う楽しみの一つになっている。

 先月、このイベロアメリカ研究所でとても貴重な出会いがあった。この研究所では、毎年特定のテーマを決めて、それに沿って研究助成を出したり招待講演を開催したりしているのだが、今年のテーマは「知の生産と文化移動:トランスリージョナルな文脈におけるラテンアメリカ」となっている。このテーマに則して毎月講演が開かれているのだが、先月12月の講演を行ったのが、イギリス・ニューカッスル大学のJens Hentschkeという歴史学者であった。この人はドイツ出身で、19~20世紀南米の思想史・教育史の分野で広く業績を挙げている人である。20世紀前半のブラジルについて長く研究した後で、19世紀のチリやアルゼンチンについても論文を書き、数年前から19世紀末~20世紀初頭にかけてのウルグアイの教育思想について研究を行い、一昨年ウルグアイのヒストリオグラフィー上非常に重要なモノグラフを英語で上梓した。ウルグアイの歴史についてちゃんと知っている人に会うことはあまりないので、彼との会話はとても楽しかったのだが、それは置いておいて、その上で考えたことを記しておく。

ウルグアイの歴史についての英語のまともな研究書というのは本当に両手で数えられるくらいしか存在しない(アメリカ合衆国のラテンアメリカ研究の業界では、その後のキャリア形成上の理由からメキシコやアルゼンチンのような「大国」について博論を書くように指導されることが多く、ウルグアイのような小国について博論を書こうとしても指導教官が許可しない、という事情が大きな要因だと思われる。ウルグアイのフェミニズムの歴史で博論を書いたあるアメリカ人研究者は、「ウルグアイで博論を書くのはprofessional dead-endだ」と方々から警告された、と言っていた。)のだが、彼の研究の最大の力点は、19世紀末ウルグアイの教育思想の展開を、チリ‐アルゼンチン‐ウルグアイ‐ブラジルと南米南部を横断する知的交流の回路というintra-regionalな文脈と、ヨーロッパ(特にドイツ、フランス、ベルギー)と南米との間の知的結びつきというinter-regionalな文脈の双方に位置付けて論じた点にある。こうした地域横断的・グローバルな視野での研究というのは、ウルグアイなりラテンアメリカなりを拠点に研究している歴史家からはなかなか出てこない。言語的な問題(例えば、Karl Christian Friedrich Krauseというドイツ人哲学者の思想が、19世紀末ラテンアメリカの政治や教育に与えた影響についてはしばしば指摘されるが、Krauseの著書を原文で読めるというのはHentschke氏の大きなアドバンテージである)もあるし、またヨーロッパや北米などのアーカイブに所蔵されている資料へのアクセスが金銭的にも心理的にも困難だという問題もある。日本人である私がウルグアイ史、ラテンアメリカ史をやる以上、こうしたグローバルなテーマ設定や分析視角を持ち込むのは、「戦略」としても理に適っている、というのはHentschke氏と話をしていて感じたことである。

ただし、そうした場合に直面しなければいけないのは、その研究成果をどの言語で発表するか、という大問題である。Hentschke氏のように英語で書けば、ウルグアイやラテンアメリカを専門としない人たちも含め、それこそ「グローバルな」オーディエンスに読んで評価してもらうことができる。一方で、英語の研究書を進んで読みたがるウルグアイ人はそう多くはない、というのもまた事実である。Hentschke氏は、ウルグアイで関係した研究者やいろんな団体などに著書を何冊も送りつけたそうだが、それでどれくらいウルグアイの学術界にインパクトを与えることができるかは正直に言って不明である。著書をスペイン語に翻訳する話もあったのだが、400ページ以上の研究書を翻訳できる人もいなければそのための予算もない、ということで頓挫したとのこと。「グローバルな」研究を志向するあまり、その研究を最も必要としており、それを最も高く評価してくれるはずのウルグアイの人たちに自身の研究成果が十分に届かないのであれば、本当にそれで満足していていいのだろうかという疑念も浮かんでくる。

私も博論を何語で書くべきか、これまで何年も悩み続けて未だに答えが出せていないが、いい加減くよくよ悩んでいないで早く書き始めないといけない時期に来てしまった。ベルリンに滞在している間にとにかく書き始める、というのが当初の目標だったので、細かい仕事が積み重なっていてなかなか博論に注力できない日々が続いているが、残り2か月で最低限その目標だけは達成したい。


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