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2016年11月報告

先月はジェレミー・エーデルマン教授のセミナーについて述べたので、今月はフィリップ・ペティット教授のセミナーについて述べたい。彼のセミナーは、毎週100頁前後、テーマが設定されそれに関連した論文が課題とされた。例えば、規範とは何か、規範の導出根拠はいかなるものか、国家をどのような論理によって理解するべきか、といったテーマの際には、ハートやホッブズが課題文献とされた。基本的にはペティット教授がレジュメに沿って説明を加えていき、発言したい院生は挙手をする。従って、院生間で議論が繰り広げられるというよりは、教員と院生の間で、一対一で話が進んでいく印象であり、院生の発言時間はあまり多くはないものであった。とはいえ、政治学部の院生と哲学部の院生とが集まっていると、関心の持ち方、思考手続きの踏み方に微妙な違いが看取できて興味深いものがあった。

 研究については、入手可能な史料を出来うる限り読み進め、月末に再びキャナダイン教授と面談して11月の進捗を報告し、執筆予定の論文構想の大枠やそれが派遣者の博士論文とどのような関連にあるかについて説明した。その結果、12月半ばにサマリーを提出のうえ再度面談をすることになった。議会史料や書簡などプリンストンでは入手できない史料を1月にロンドンに赴いて収集してくるのだが、どの史料を入手すべきかについても相談をする予定である。とはいえ、プリンストン大学は史料へのアクセスがとてもしやすいので、ロンドンを訪れるまでに読むべきものは大量にあり、その読解に日々追われている。史料へのアクセシビリティは、オンラインデータベースの豊富さ、コピーのしやすさ、スキャナーの設置の三つの要因による。

 オンラインデータベースについて言えば、一次史料へのアクセス、二次史料へのアクセス共に、東京大学よりも豊富な印象を受ける。派遣者の専門関連でいえば、例えばEEBOやECCOがあるのは当然として、British Online Archivesにアクセスできることで、ロバート・クライヴの書簡や議会史料をオンラインで見ることが出来るのは助かる。また、二次史料については、特にe-bookの充実は特筆すべきものがある。たとえ図書館の蔵書が借りだされていることがあっても、簡単にPDFを入手が可能である。但し、英語以外の諸外国語文献(例えば独仏)については東大に比べやや手薄い印象もあるが、学外から簡単に取り寄せられるので、そこまで不便を感じることはない。

 またそれらの一次史料やPDFは、簡単にコピーができる。派遣者は(環境にとってよろしくないのは重々承知ながら)史料や論文を紙に印刷したうえでメモや要約を記入しながら読み進める癖があるので、コピー機付属のディスプレイに学生証をかざすだけでコピーができる設備にもまた助けられている。一人の学生につき、予め3000枚ほど印刷可能になっているようであり、従って6000頁分の史料や論文が印刷可能である。ただ、使用可能なコピー紙がletterサイズしかないため、元がA4サイズの史料をA3に縮刷するなどの技術が使えないのは残念である。

 更に、コピー機の設備以上に驚くのは、図書館に設置されたスキャナーの数と機能である。東大ではコピー機の機能の一つにスキャナーがあり、USBを差し込むと保存ができるものがあると思われるが、ここではコピー機とは別に専用のスキャナーがある。更に、保存の仕方も、USBに保存するだけではなく、その場でメールにして送信、スマートフォンに送る、など数種類が選択できる。従って、スキャナーでスキャンした書物をパソコンにメールで送り、そのPDFを印刷する、といったこともできる。特に半年しか滞在できない本プログラムの派遣者にとって、日本では入手が難しい史料を簡単にPDFにしたうえメールで保存できるスキャナーの存在は実に有難い。これらの設備の充実によって派遣者の研究は順調な進展を見せている。

 最後に、派遣者の研究とは直接的、表面的にはまるで関係がないのだが、研究の動機や関心の面で大いに関係する出来事について若干述べたい。それは、大統領選のことである。プリンストンはアイヴィー・リーグの一角を占めるだけあって流石にリベラルな雰囲気であり、街中を見渡してもクリントン支持が圧倒的に多い街である。それだけに、今回の結果には日本人には到底理解の及ばないレベルの落胆と混乱が人々の間に広がっているように見受けられた。学内では反トランプデモが起こり、学長が学生に向けてメールを送ってきたりもした。そのために、トランプが勝ったという結果と身の回りの空気とが乖離しており、アメリカ国内にいながらあまり現実的な出来事に思えないのが現状である。今回の事象を分析するにあたっては多様な視角からの多様な因果関係の推論が可能だと思われるが、歴史家としていかなることが言えるのか。或いは言うべきか、言うべきではないのか。更に、民主主義、ポピュリズム、大統領制(選挙人団による選出という方法も含め)といった文化的に負荷のかかった概念の再検討が迫られている昨今、これに対していかなる学問的探究が要請されているのか、という点に対して敏感になる必要があるだろう。そんなことを、研究をすすめながら考えた。


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